台湾基督長老教会は、世界教会協議会および改革派教会の一員であり、その創設は1865年のイングランド長老教会宣教師ジェームズ・マックスウェルによる台湾南部宣教、および1872年のカナダ長老教会宣教師マッケイによる台湾北部宣教に始まります。
1865年、イングランド長老教会の宣教師であるジェームズ・マックスウェル(Dr. James L. Maxwell, M.A., M.D., 1836-1921)が宣教のために台湾の地を踏みました。台湾府(現在の台南)を台湾宣教の拠点と定め、台南の看西街に病院と礼拝堂(現在の新楼医院の前身)を開きました。そして、イングランド長老教会から派遣された優秀な医者や教育者、科学者たちが台南に集まりました。彼らは医療や宣教に勤しむかたわら、近代医学、世界史、天文学、地理学、数学といった西洋の近代文明を台湾の人びとに伝えることで、聖書の教えやキリスト教の福音のみならず、西洋文化や科学知識による感化を促しました。そして1870年頃から各地の教会に小学校が設けられるようになり、1876年には台湾最初の大学「台南大学」(神学校。現在の台南神学院の前身)が設立されました。次いで1883年3月15日、中学校の設立が決まり、1885(光緒十一)年9月21日、イングランド長老教会により、台湾で最初の西洋式中学校「長老教会中学」が開校しました。これが現在まで130年以上の歴史を誇る「長栄高級中学」の前身です
1954年、長栄中学第二代理事長陳明清は、日本のキリスト教大学の特色や大学教育の発展にならい、台湾基督長老教会総会の議決を経て、呉基福ら15名のメンバーによる長栄文学院設立準備会を立ち上げました。しかしながら、当時は大学設置禁止令が出ていたこともあり、思うように事は運びませんでした。長栄中学第三代理事長侯全成(1963~1965年在任)は、任期内に大学設置禁止令が解除されそうもないため、まずは専科学校の設立から着手しようとしましたが、周囲の反対により、断念せざるを得ませんでした。長栄中学第四代理事長呉基福(1966~1985年在任)も、積極的に計画を推し進め、具体案なども出されましたが、やはり大学設置禁止令の壁に阻まれ、準備段階に留まったままでした。
しかし、1985年に黄仁村が長栄中学第五代理事長に就任するのと機を同じくして、私立大学設置禁止令が解除されました。黄理事長は、長老教会が台湾の文化や教育、医療に対して成し遂げてきた努力と貢献を引き継ぐべく、長栄中学蘇進安校長や長栄女子中学劉快治理事長と「長栄工学院」の設立を計画しました。 その後、1988年3月に「長栄工学院」の設立申請が教育部に提出され、翌1989年6月に正式に認可。同年8月には、長栄工学院理事会が正式に発足し、1990年2月3日、財団法人としての登記も行われました。 1992年11月16日、長栄工学院は長栄管理学院へと改称され、1993年2月16日に財団法人私立長栄管理学院として法人登記されました。そして、初代学長に林邦充が招聘され、情報管理学科、企業管理学科、国際企業学科、会計学科の四つの学科に200名の新入生が入学しました。ここに台湾の高等教育、そしてキリスト教精神に基づく教育の歴史に大きな足跡が刻まれたのです。
I1997年第二代学長簡春安の時代には、全人教育という目的を果たすべく、教養教育、とりわけ奉仕精神や芸術関係の教育にも力が注がれました。
2000年に蕭龍生が第三代学長になると、長栄管理学院を長榮大學と改称することで、全人教育をさらに推し進め、また教育や学術研究、生涯学習の質を向上させる計画が打ち立てられ、学科の増設や財源の確保が積極的に進められました。
2001年、長栄管理学院理事会は財務的に厳しい状況を迎えましたが、彰化キリスト教病院の黄昭声院長(当時)の支援を受け、台湾ドル約10億元で長榮大學の建設予定所有地が買い上げられたほか、翌年には財政その他への支援、彰化キリスト教医学学院の長栄管理学院への編入の促進などで合意しました。そして、2002年10月1日、教育部により2002年度からの「長榮大學」改称が認可されました。
2003年に陳錦生が第四代学長となり、新しい活力に注入されたことで、長榮大學は新たな時代を迎えました。蘭大衛(David Landsborough)記念図書館、本部棟、学生活動センター等の諸施設が新たに建設され、また学内に教員や学生が創作した芸術作品が設置されるなど、学内の環境整備が進められました。そして「南台湾一の私立大学」をスローガンとし、年ごとに大学が発展していったのです。
また大学の敷地の一部が、新たに敷設される鉄道路線「台鉄台南沙崙線」の買収予定地となり、これに対して楊四海理事長は正門前の四十メートルの道路を駅前道路として無償提供することを決め、駅名も「長榮大學駅」となりました。2011年1月2日、鉄道の開通とともに「長榮大學駅」の運用が正式に始まりました。さらに同年12月23日には、教育部による2011年度大学評価の全項目に合格しました。
2013年からは李泳龍学長の代となり、大学の安定と飛躍、組織や投資の活性化、創造性の発展が促進され、学生の学習・生活環境も不断に改善されています。さらには全人生涯教育の精神にもとづき、学内サークル活動、国際交流、産学連携なども積極的に行われ、質の高い教育環境が整備されてきました。現在も、「南台湾一の私立大学」の名に恥じない、キリスト教精神に則った大学となるべく、努力を続けています。
長榮大學は、「尊重、愛、奉仕、努力」をモットーに、大学の社会的責任を果たしています。敬虔と謙遜を忘れず、啓蒙を広め、国際的な視野を広げ、全人教育に最大限の努力をするのが、社会や環境に対する大学の使命だと考えています。2014年、地域コミュニティの環境教育の拠点としてジェーン・グドール環境教育センターが発足し、2016年には環境保護署の第四回国家環境教育賞を受賞し、緑豊かな河畔の大学としても名が高まりました。このように、長榮大學は、地域の活性化を行い、国際交流の実績を積み上げ、学外との結びつきを強めながら、学生数を増加させ、地域住民の生活環境の改善や国際化に邁進しています。
2017年には、社会道徳観や企業道徳観を養い、それをまた世界の隅々にまで広めていこうという目的のもと、ノーベル平和賞受賞者ムハマド・ユヌス博士の名を冠したユヌス社会企業研究センターが設立されました。これにより、すぐれた社会人材、企業人材を育成して大学の社会的責任を果たすとともに、さらなる大学の発展を期すためのすばらしい拠点が築かれたのです。一方では、国際化の推進のため、政府の南半球への発展政策に先んじる形で、香港とマカオ やインドネシア、マレーシア、ヴェトナム、フィリピン、タイといった多くの国の大学と姉妹校協定を締結し、中でもオーストラリアのクイーンズランド工科大学とはダブル・ディグリー・プログラムを実施するなど、学生の国際的な視野を広げるために、海外交換留学等を積極的に行っています。
長榮大學では、その設立準備から開学、改称の各段階すべてにおいて、理事会や学長の適切な陣頭指揮の下、教職員や学生の惜しみない努力と協力により、すぐれた教育が行われ、各種制度が不断に整備改善され、大学としての特色が打ち出されてきました。そうして、2019年度にが開設され 管理学部、健康科学学部、人文社会学部、情報・デザイン学部、神学部、永続教育学部、環境教育国際実験学部そして安全衛生科学学部、その下に学士課程38、大学院修士課程17、大学院博士課程2が設けられました。また学生数は、開学からこの31年りで、創立当時の134人から1万人以上と大幅な増加を見せています。
長榮大學は、大学の創立理念はもとより、一体となって先人の教えを守り発展させていくという使命を心に刻み、自由と自主性を重んじる多元的で開放的な大学として、生涯学習を理念に掲げ、一般教養および各分野の専門知識や技術を有するのはもちろんのこと、論理的思考能力、独創性、リーダーシップ、広い視野、そしてなにより博愛、正義、奉仕、犠牲の精神をも兼ね備えた優秀な人材の育成を行っています。全人教育のために絶え間ない努力を続けることで、必ずやキリストによる福音がもたらされ、美しい花が咲き実を結んでくれるものと信じてやみません。